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FUNKY DOG HISTORY
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1958 人一倍やんちゃな生活・・・
1975
Funkypedia:坂見誠二とは!? ※"ストリートダンス界のカリスマ"と呼ばれ、ストリート番組 『スーパーチャンプル』では審査員としてレギュラー出演していた。
1977 "喫茶 絵日記"を開業。 学生時代にドラムをかじっていた事をきっかけに、バンドを再結成。 アマチュアバンドの育成にも精力的に取り組む。 休日には、久留米市民会館にてダンスパーティーを月一回ペースで開催。 当時はRock'n Rollが盛んで、多数のバンドが競うように出演。 中には藤井フミヤの所属する"CalCoke"や、 久留米大御所バンド"大和"の前身"紅さそり"、 "チェッカーズ"のメンバーだった、トオル・クロベー・高杢も其々のバンドで出演していた。 当時はプロの世界でもRock'nRollが盛んであり、"COOLS"や"矢沢永吉"等が最高であった。 矢沢永吉とはバンド活動が縁で交流ができ、久留米でライブがあるたび酒を飲み交わした。 喫茶店の一角を"COOLS"のグッズ販売の九州支店とし、 COOLSのオリジナルグッズ "COOLS HIDE SHOP CHOPPER"を販売。
この交流を機に、"CalCoke"を"COOLS"の前座に抜擢。 現在でも"COOLS"メンバーとの交流がある。
????(髪の毛、あり〼)
そして、結婚…しばらく音楽活動から離れ、ホストクラブ・スナック・焼き鳥屋と7店舗経営。 居酒屋を出店しようと計画していた矢先、某所で"絵日記"時代の大和のボスと再会。 『大和の再結成のLIVEを見にこないか』と誘いを受けた。 音楽の世界から遠ざかっていた為気が進まなかったが、仕事を定時で終え、夜の店への出勤途中、 「ちょっとだけ見ていくか」 と軽い気持ちで大和のLIVE会場へ足を踏み入れた。 ・・・やっぱりライブはいい!!・・・ ライブが終わり大和のボスから、『また、やったら』と一言。 居酒屋出店を中断し、翌日からファンキードッグの候補店舗を探した。 思った広さの場所が見つからず、何十件となく物件を探した。 そして、ワンフロアーに3件の店が並ぶビルを見つけ契約。昔のバンド仲間と店作り。 壁を壊し、芸能界のつてを頼って購入した機材を設置。資金は、羽が生えた様に 飛んで無くなる。 ブランクはあっても、気持は変わらなかった。 若い世代〜俺たちの年代迄、気兼ねせず音楽を楽しめる店を作ろう。
2005 久留米六ツ門にて"LIVE&DISCO FUNKYDOG"を開業。 "COOLS"メンバー・ジェームスのアコースティックLIVE、 "ヴィーナス(コニー)"のLIVE等、様々なLIVEを開催。
2007 久留米一番街に"Music Bar FUNKYDOG"として移転営業。 "CalCoke"で、リードボーカルだった村田もFUNKYDOGの箱バンとして月2回演奏している。 また、当時からのCalCokeメンバーも久留米に帰ってきた時は店に来てくれる。 今も昔も変わっていない…年をとった以外は。(笑)
2014 久留米一番街の店舗(マルシェビル)老朽化で酷い雨漏り、また天井崩落等により 御客様は、勿論 スタッフの身の危険を回避するために 西鉄久留米駅西口 正面(商店街入り口)に移転をする。 (久留米東町39-12 江頭ビル6F) 名前も新たに
【 Music Amusement Bar FUNKY DOG 】
その名の通り、平日(月曜日〜木曜日)は御客様にステージ解放にてカラオケを楽しめる、 また常備された楽器演奏などの自由空間。 週末(金曜日・土曜日)箱バンはもとより 専属のイベントプロデューサーによる 様々なジャンルのバンドによるライブ等が楽しめる異空間。 そもそも 路上ライブの子供達に機材を使った演奏の場を提供するなど 久留米→音楽の街 を、モットーにしていた為、常に身近に音楽がある音楽だらけの店になった訳である。
村上“PONTA“秀一氏をはじめ さまざまなジャンルのミュージシャンとの交流は勿論 まだまだ芽が出ていない上手いアーティストが沢山いるので 出来る範囲で応援・支援していきたい。 また自分世代から上のお客様から、『懐かしい』『楽しかった』と言われるような店を残していきたいと思う。 そして音楽というキーワードで、活気のある久留米に・・・
ま〜上記、真面目に書き込んでみましたが・・・ こんな弾けた人間です (―_―)!!
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